たくさんの教室に通ったけれど(MMさん)
基礎科前期を修了して


 マクロビィオチック的な食事を始めてから、5年ほどたちます。その間にマクロの教室に通い
一通りの勉強をしました。その後も単発のお教室に通い、桜沢先生の本をはじめ、多くの先生
の本を読み勉強もしました。しかし、本を読めば読むほど、いろいろな先生の意見に振り回され
るだけで、どれが正しいのか判断が付きません。また、頭で理解しても、いざ玄米を食べてみると、
ストレスで弱った体は玄米を受け付けず、一体何を食べたら良いのか分からなくなった時期も
ありました。書店で恭子先生のご本と出合い、バター、はちみつを使うなど、純粋なマクロの勉強
をした者には考えられない事が書かれているにもかかわらず、書店に行くたびに、手に取る機会
が多く居なり、購入。やはり、本を読んでいるだけでは、物足りなく、お教室に通うことにしました。


お教室に通い始めて
 エネルギーが遮断されるから静かに、静かに炒めるって、聞いてるけど、アルミのお鍋使って  
いいんだ、お野菜あんなに長く煮詰めていいの?等‥   今までの知識の中でどちらを信じたら
いいのか迷う。でも今は恭子先生のお教室に通っているのだから、恭子先生の教えに従うことを
決意。※1


 主食をたくさん取ること、玄米はよく噛むこと、どこの教室でも伝えられたこと。でも一番実践しな
かったこと。ここではチャレンジしてみようと思えるのは食事中の生徒、一人一人の短いコメントと
先生のアドバイス。皆の便の変化や肌がきれいになったなどの報告は私もやってみようという気に
させる。また私もいい話をしたいという思いになる。※2
ダラダラとした生活が続いていても、お教室の三日前位からコメントのことが気になって、身も引き締まって、
食事を正す。


 まず、主食を6割以上、100回を頭に入れて噛む。けんちん汁を頻繁に取る。今までやっていたこと
だが、朝は梅生番茶と葛練りのみを徹底する。それだけでぐーと便の量が増え、バナナの様な便に
なる。自分が体験することは今更ながら大事。食事がぶれたら、ここに戻ることを知ったことで安心
した気持ちになる。※3


 以前、他のお教室に通っていたのだから、「これ位できるでしょう?」と思われているかしらと思うと
手が出ない。テキスト読みは、この頃、年のせいか漢字をフッと忘れてしまう、字もよく見えない。
緊張して声が小さくなってしまう。声の出し方を注意される。(この年をして、何をカッコつけているん
だろうと自分でも苦笑。) 包丁の持ち方、使い方、野菜の切り方を注意される。少し落ち込むが注意
されないと、先生は私のことは見ていないのかしらと思うから勝手。最近はずいぶんと手もでて、漢字
の読み違いも後を引かない。手を出して注意されないと何の進歩も無いと気づく。※4


 お教室に通って、私の一番の収穫は「心の持ち方」。以前から、心の持ち方には興味があり、何冊
もの本を読んできたけれど、本から得るものはやはり知識。先生が発する言葉はすべて自分を見直
すのに役立つ。一番初めにハッとっさせられた時の感想です。この時はまだ、先生にメールを送る
勇気がありませんでした。
私は昔からたんぽぽなんだと思い、友達にもそう伝えてきました。でも私の心の中には
    いつもバラになりたいと思っていたと思います。
   たんぽぽだと思いつつ、バラを求めるのは辛いこともあったり、私はたんぽぽなんだから
   とバラになることを諦める口実でもありました。
   でもバラの肥料を与えると、たんぽぽが枯れちゃうのはショックだったな。
    たんぽぽになって、今、他人に何ができるだろうと考えると、本当は私の持っている良さが 
    すごく広がりそう。
    でも私は長い間、バラになるための努力のやり方ばかりで、どうしたらたんぽぽのまま、
    私を生かせるのかはまだつかめないままです。※5




 恭子から一言
 私の教室の目的は、「仕合せになっていただくこと」
癌の末期などで、教室にいらっしゃった方も、全員、ぴんぴん元気になって完治してしまう、ばかりではありません。
でも、皆さん、より仕合せになってくださいます。
それは、食事で、より、痛みがなく元気になるだけではなく、考え方で、仕合せになるのです。

心が穏やかであれば、病気も、「治る」のです。
そのコツも教室ではお話していきます。

※1
そうなんです、私の教室は、マクロビオティックの知識を伝える教室ではありません(?!)
でも、私の通りの料理法と食べ物の選択で、ちゃんと、むしろ、健康になるのです。

※2
これは、私の狙うところです。
通信教育は私のような怠け者には向きません。
教室に実際出席し、同級生の実際の身体のよき変化を聞いていくと、自分もやってみようと言う気になります。また、自分のよい報告をしたい、と思います。
また、前日、良くない食事をすると、ちゃんと、お顔に書いてあるので(望診)、私に指摘される…それがこわくて(?)、教室に来る3日くらい前から、体に良い食事に変える、ということが、とても、良い結果を生むのです。そして、又崩せば良いのです。人間ですから…。そして、教室の3日前からひきしめる、これこそが狙いです。

※3
「大きい便り」こそ、自分の身体からの「便り」です。
長年、マクロビオティックをやっていても、私の教室に来て、さらにバナナのような良い便が出るようになる方が多い、ということはなんでしょう。恭子式マクロがよいことの実証です。

※4
この方に限らず、優等生的な方は、なかなか、自分を防御する「鎧兜(よろいかぶと)」が、取れません。失敗をしてとがめられると思う、自分が劣っていると思われるのがいや、という習慣です。いつでも、ほめられていないとダメなんです。でも、これは、「素直」ではありません。仕合せになれない習慣、癖、なのです。

私は、いつも、繰り返し繰り返し、この教室では誰もとがめてはいませんよ、誰の人格も否定していませんよ」と言います。
日本社会では、失敗をすると、とがめるから、私たちは、失敗を恐れてより良く変わることができません。

でも、この「よろいかぶと」が取れてくると、皆さん、最初は暗かったのがとても明るいお顔になります。この方も、最初暗いお顔だったのが、今では、クラス一番の大きな明るい声でギャハハッ(ごめん)と笑います。全員、といっていいほど、の教室生の変化です。本当に、みんな、明るくなるのです。

※5
このレポート集のタイトルにあるように、「たんぽぽ」の花を最大限に大輪の花を咲かせることこそ、自分の人生の終日に、良い人生だったといえることです。

それぞれ、自分は、何の花でしょう。

バラの花であったり、桜であったり、菊であったり、ドクダミの花であったり、たんぽぽであったり…

バラの花になりたいと、自分のタンポポのよさを否定して劣等感を持つ。

タンポポなのに、バラの花にやる肥料をやるのを、「運が悪い」と言います。

タンポポの花だとわかって、タンポポの花にやる肥料をやるのを、「運が良い」と言います。

バラの花も心の中は、「薬効がたくさんあるドクダミになりたい、うらやましい」と思っているかもしれません。

桜の花は、春咲きます。

でも、菊は、秋に咲きます。春に桜をうらやんでも、「花の咲く時期」が違うのです。そして、必ず、皆、花は咲くのです。時期を待てば、秋には必ず、菊は咲きます。

自分の花は何なのか、自分の器を悟るのは、なかなか難しいことです。

でも、この方は、その入り口に立ちました。

失敗しても人格否定をしていない、とがめていない、私の教室で、実習に手を出して、練習をしていってください、といいますが、その結果、彼女も大きく明るく変わりました。

劣等感…

どんな肩書き持っている人も、劣等感を持っています。劣等感は不要です。バラの花も劣等感を持っているのです。

私たちは、小さな波に振り回されて生きています。愚かですね。いい加減に生きている時は、落ち込みます。これが、劣等感です。相手との間に上下感情を作ってしまう。人間が作り出したものにおいて絶対的な価値はないのです。他人に価値判断を任せるから、劣等感を持つのです。

「人は人、自分は自分、人を見るところに心を病む

人を見るなよ、糧とせよ

ねたまず、おごらず、わが身に返そう」